クローズアップ close-up

方程式で車の流れを制御する新しい交通モデルを構築する。

岩崎雅史(いわさきまさし)

代数学ネットワーク解析チーム・リーダー
京都府立大学 生命環境学部 准教授

2004年に京都大学大学院情報学研究科博士課程修了、博士(情報学)。2002年、科学技術振興機構リサーチスタッフ、2004年、同機構研究員へ。その後、京都府立大学人間環境学部准教授を経て、2008年より現職。

代数学ネットワーク解析チームは、数理的なアプローチで新しい交通モデルを提案すべく、研究を進めている。理想的な車の流れを方程式で表現し、その通りにすべての車を制御するような交通システムの開発を視野に、その基礎的な要素の検討を行っている。その際、近似ではなく、厳密な解を利用したシステムを作ることがモビリティという分野においては肝要であるとチームリーダーの岩崎雅史准教授は言う。数理的な方法が持つ強みや役割とは何なのか。厳密な解を追求する意味とは。岩崎雅史准教授に聞いた。

※本記事は「モビリティ基盤数理研究ラボ」の前身となる「モビリティ基盤数理研究ユニット」時のものになります

数学によって物事の本質に迫る。

——はじめに先生の専門分野について教えてください。

私の専門は、可積分系とその先につながる数値解析という分野になります。可積分系の説明にはいつも苦労するのですが、応用を意識するのであれば「何らかの意味で解くと考えていただくとよいかもしれません。たとえば、厳密解を得ることができる力学系などが可積分系ということになります。。現象を記述する微分方程式は、そのほとんどが厳密に解くことはできないため、近似して解けるような形にしたり、コンピュータを使って近似的に解かれたりしています。しかし、厳密に解くことができれば、その現象がより正確に理解でき、本質に迫ることができるのです。このように、現状では解けない力学を厳密に解くことが可積分系の研究の第一歩であり、これを起点に数値解析などの応用分野と結び付けることができます。。つかみどころがないのですが、ロマンがある分野だと感じています。

——確かにとても難しそうな分野ですね……。その中で特に、岩崎先生はどのような領域に関心を持たれているのですか。

扱う具体的な対象はその時その時で異なるのですが、私は常に、その本質を理解するためには、「固有値」を意識することが大切だと考えています。固有値というのは、現象ごとに内在する数学的に定義される量で、それは常に、その現象の特徴を反映しているものだからです。わかりやすい例をあげると、たとえば町づくりにおいて住民の意見を集め、そのデータを分析する場合、行列化されたデータの固有値を見ることで、住民全体の意見の本質的な部分を捉えることができる、というイメージです。そして、固有値を計算する際には、特に「LR変換」という手法に着目しています。これは行列計算における一つの手法なのですが、私は、ほとんどの可積分系は、LR変換と考えていて、その辺りが私の研究の大きな特徴と言えます。

——もう一つの専門分野である数値解析も、この辺りに関係してくるのでしょうか。

そうですね。固有値を求めて系の本質を理解できたとして、では、それをどう応用するか、といったことを考える時、数値解析が大切になってきます。つまり、解けないものを解けるような形(=可積分系)にした後に、それを実際に解くのが数値解析です。ただ私は、実際に解くことではなく、解くための新しい手法を構築する研究を行っています。ちなみに、ここで言う数値解析は、一般的に使われる、厳密には解けないものを近似的に解くという意味での数値解析ではありません。厳密な解を求めるための手法としての数値解析になります。

可積分系には、解くための決まった筋道がなく自由に考えられることが面白いと岩崎先生

方程式に基づいて車の動きを制御する仕組みを構築したい。

——現在、モビリティ基盤数理研究ユニットの研究として、代数学ネットワーク解析チームで取り組んでいるテーマについて教えてください。

未来のモビリティ社会では、自動運転が主流となると考えられます。私たちは、その時代の新しい交通モデルを構築するための研究を行っています。現在私たちが試みているのは、一定の領域内で、多数の自動運転の車が安全かつスムーズに走行するために、各々の車の速度や動作が満たすべき条件などを数式で表現することです。そしてその数式に従って各車が自動的に動くような仕組みを作りたいと考えています。つまり、全ての車の最適な動きを数理的に求め、それを自動制御で実現する交通システムの構築を目指しています。

——その方法は、自動運転時代の交通システムとして通常議論されるものとはどのように違うのでしょうか。

現在、おそらく一般的に想定されている方法は、車一台一台がそれぞれ、AI技術とセンシング技術の融合によって、前後左右の車との間隔などを把握し、各車がその場その場で計算を繰り返しながら、最適な動作や速度を決めていくというものです。一方、私たちが考えているのは、各々の車は、計算をせず、その代わりに、先の数式に基づいて、領域内を走行中のすべての車を一括して外部から制御して動かすという方法です。

——なるほど。車が個々に計算して動作を決めるのと、すべての車の動きを外から制御するという違いがあるのですね。また、このような制御の方法が数理的、数学的にどのように実現されるのか、教えてください。

車の動きを一連の数式で表現するところがまず数理的に重要な部分ですが、さらに、制御を行う上で大きな意味を持つのが、先に説明した固有値です。車の動きがいくつかの数式で表現されるとき、車の速度は、その力学系の固有値に対応させることができます。つまり、全体がどのような速度で流れるかは、固有値から把握することができます。とすると、全体の流れをこのくらいの速度にしたいというのが決まっている場合、固有値をその値に設定すれば、そこから逆に数式を解くことで、それぞれの車がとるべき動きを決定することができるのです。

——固有値の重要性が少し見えた気がします。ちなみに、このような仕組みを現実世界に導入する際の具体的な構想があれば教えてください。

たとえば、事故や混雑が発生しやすい交差点や高速道路の合流点といった特定の領域に、このようなシステムを導入することをイメージしています。つまり、その領域に入ったら、各車はシステムに従って自動制御で動くようになる。そうすれば、事故や混雑を減らすことができるでしょう。現在、より具体的な構想を代数学ネットワーク解析チームとして考えていて、少しずつですが近々公表できる予定です。

数理的アプローチは、安全性向上や環境改善に寄与できる。

——今回、「モビリティ×数理」という観点で研究を進められていると思いますが、モビリティに数理を絡めることの意味について教えてください。

自動運転のプレゼンスが今後ますます大きくなる中で、これからのモビリティ社会をけん引する技術は、一般的にはAIだと考えられていると思います。しかし私は、その方向には目指すべきモビリティ社会の未来はないように思っています。AIによる計算は、基本的に近似解の積み重ねであり、どうしても誤差や間違いが生じます。しかし、モビリティというのはちょっとした間違いによって事故が起こり、人命が失われる世界です。それゆえに、近似解ではなく100%厳密な解によって運用される必要があると私は考えています。そのためには、数理的に厳密な方法でアプローチすることが必要不可欠です(厳密な解が必要という点で、私の研究分野である可積分系が関係してきます)。また、二酸化炭素排出量の削減が喫緊の課題となっている現状を考えても、個々の車がAIによってひたすら計算を繰り返すというのは、エネルギー的に損失が大きく、時代の流れに合っていません。その点からも、数理的な方法でモビリティ社会を考えていくことには意味があると考えています。

——トヨタという存在があったからこそ生まれた着想やアプローチがありましたら、教えてください。

今回トヨタは、私たちがこのようなスタンスで研究を進めることを後押してくれています。それはトヨタも未来のモビリティのあり方を考える上で数理の重要性を理解しているからなのだろうと私は受け止めています。そう考えると、この研究はトヨタあってこそのものであるとも感じます。一方、数理的な考え方は、モビリティの分野に限らずこれからますます重要になっていくはずです。日本全体としてそのことが広く理解されて、トヨタのように動く企業が増えていくことが、日本の将来にとってもとても重要なことだと個人的には感じています。

モビリティの変化は社会全体に変化をもたらす。

——最後に、今回の研究を通じて、どのようなモビリティ社会の構築を目指したいか、また岩崎先生の考えるこれからのモビリティ社会とはどのようなものか、教えてください。

モビリティのシステムが、実際に数理的なモデルによって作られるようになるかはわかりません。ただ、いずれにしても、将来的に車の運転は、基本的に人間が自ら行うものではなくなるだろう中、新しい交通モデルをさまざまな側面から検討することは重要です。そしてその結果、来たる未来のモビリティ社会においては、誰でもいま以上に手軽にどこにでも行けるようになると想像しています。そうなると、移動にかかる人間への負荷は減り、移動することへの考え方も大きく変化していくでしょう。そしてそれは、たとえば旅行や観光の方法や概念、地域のあり方など、社会にさまざまな変化をもたらすことになると考えられます。今後のモビリティ社会について考える際は、そういった社会全体の変化の可能性にも着目していくことが大切です。自分も研究者の立場から、そのような大きな時代の変化に関わっていけたらと思っています。