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【トヨタ&京大 座談会】「数理」から構想する、未来のあるべきモビリティ社会とは

京都大学の牧野先生、山下先生、トヨタ自動車の河村さん、梶さん(左から)

登壇者

梶 洋隆   トヨタ自動車株式会社 未来創生センター R-フロンティア部 主査
河村 芳海  トヨタ自動車株式会社 未来創生センター R-フロンティア部 主幹
山下 信雄  京都大学 モビリティ基盤数理研究ユニット ユニット長 
牧野 和久  京都大学 モビリティ基盤数理研究ユニット 副ユニット長

2020年、トヨタ自動車と京都大学が連携して「モビリティ基盤数理研究ユニット」というプロジェクトがスタートしました。日本トップレベルの数理の研究者たちが集まり、トヨタとともに「未来のあるべきモビリティ社会」を構想する本プロジェクト。その意義と目指す地平について、プロジェクトをリードする中心メンバーの4人が語り合いました。

※本記事は「モビリティ基盤数理研究ラボ」の前身となる「モビリティ基盤数理研究ユニット」時のものになります

『可動性を社会の可能性に変える』・・根本原理としての「数理」の探求

——本プロジェクトは、トヨタ自動車と京都大学を中心とする数理の研究者たちが連携して、未来のモビリティ社会のあるべき姿について数理から構想する、今までにない取り組みです。本プロジェクトは、何がきっかけで始まったのでしょうか。

河村 連携のきっかけは、私たちトヨタ自動車の研究拠点の一つである未来創生センターのトップが、「『可動性(モビリティ)を社会の可能性に変える』というトヨタのビジョン(*1)に照らし合わせて、これから先のあるべきモビリティ社会の姿を描くには、未来の移動サービス全体を構想する必要がある。そのために最も重要な道具となるのが『数理』だ」と考えたことでした。

自動車の移動だけでなく、公共交通による人の流れ、情報の流通、エネルギーの流れまでも統合し、性質の異なるそれらの要素を、社会の多数の人にとって最適な配分となるように整理する。そうした複雑な事象を捉えられる根本原理は、「数理」の他にありません。しかし我々だけの力では、数理をモビリティに応用することは困難です。そこで日本の大学の中でも、数理のトップレベルの研究者の方々がいる京都大学に、お声掛けさせていただいたのです。

牧野 私たち数理の研究者は、ふだんは抽象世界の数学的思考を追求しているので、トヨタさんからのアプローチは当初、意外でした。しかし今では非常にやりがいのある、またとない共同研究の機会をいただいたと感じています。ご存知のように現代社会では、コンピュータの性能向上にともなって、AIによるビッグデータの解析が可能となり、数理が実社会のさまざまな事象に応用されるようになりました。モノづくりやマーケティングなど、応用範囲は以前より格段に広がっています。数学は「科学を記述する言語」です。エレベーターのような機械から、ECサイトの買い物まで、現代社会のありとあらゆる「モノや情報が動くシステム」の根本には、数理があります。その意味で、未来のモビリティ構想に数理を応用することは、時代的にも必然といえるでしょう。

山下 同感です。トヨタ自動車は、日本の最大の基幹産業である自動車産業の中でも、世界トップレベルの会社です。そのトヨタと協力して数理を応用しながらモビリティ社会を考察することの意義は、極めて大きいと感じています。現在の世界を牽引する企業といえば、「GAFA」と呼ばれるGoogle、Amazon、Facebook、Appleが挙げられます。彼らの強みの源泉には「数理の強さ」があることは間違いありません。例えばGoogleでいえば、創業期に圧倒的に精度の高い検索エンジンを作り上げたことが躍進の契機となりましたが、そのアルゴリズムも数理によってできています。だからこそ今、トヨタが数理に注目してくれたことを嬉しく思います。数理の力は産業だけでなく、現在のコロナ禍においても、感染の広がりを予測するモデルに活用されています。数理によって世界を記述するとともに、「世界を動かす」時代に入っています。

 コロナ禍で世界は大きく変わりましたが、テレワークや遠隔授業の普及が一気に進んだことによって、物理的な移動だけでなく「情報が行き交うこと」もモビリティ(移動)の一形態であることが浮き彫りになりました。数理の力の一つに「物事を抽象化し、本質を捉えること」があると思いますが、モビリティの概念自体が多様に変化していく未来に、「それでも変わらないもの」を見出したいと考えています。

多様なバックボーンを持つ第一線の研究者が集結

——このモビリティ数理の研究プロジェクトの全体像について教えてください。

牧野 大きく研究のテーマは3つに分かれています。1つ目が、モビリティの動きを巨視的/微視的に捉えることを目指す「ヒト・モノ・情報の流れ」の解析です。2つ目が交通など流れに関するビッグデータを効率的に計算するための「テンソルデータ・グラフネットワーク」を活用したデータの保存・計算手法の確立。3つ目がモビリティ社会の基盤になる「アルゴリズム論」です。それらの課題について、本プロジェクトでは京大だけでなく、国内の他大学から世界的に活躍する研究者を結集して、9つのチームで進めています。本プロジェクトの大きな特徴も、そのチーム体制にあります。

数学という学問分野は、優れた学者が一人で長期にわたって研究を進め、何らかの成果を生み出すのが一般的です。しかし国内外を問わず多くの数理の研究組織では、3時に珈琲とケーキを出して研究者同士の交流を促します。それは、珈琲を飲みながら研究者同士が話し合うことで、新しい気づきやヒントが得られることがよくあるからです。このモビリティ数理の研究プロジェクトでも、8つのチームがお互いに刺激しあい、トヨタの人々とも交流することで、シナジーが生まれればと思っています。

河村 本プロジェクトには、量子論などの物理学をバックボーンに持つ先生や、AIを専門とする先生、制御工学のアルゴリズムに精通した先生など、幅広い研究者の方が集まっています。そうした多様な先生方が、数理という共通の枠組みで、一つの目標に向かって議論する取り組みは、大学でもこれまであまりなかったのではないでしょうか。

山下 はい、京大においてもエポックメイキングな共同研究だと感じています。各先生方はそれぞれ所属する学会も異なりますし、学科も異なるので、普段は学内でも会って話す機会はめったにありません。しかし本プロジェクトを通じてコミュニケーションすることで、お互いに案外共通する領域があることがわかり、参考文献を教えあったり、刺激を与えあっています。例えばテンソルネットワークを用いた分析などは制御予測や輸送計画にも応用できる可能性があり、中核となる数理のノウハウは共通することもわかってきました。

5年、10年先の未来を見据えた技術と人の育成

——トヨタが本プロジェクトに期待することは何でしょうか

河村 我々が所属する未来創生センターは、トヨタの研究機関の中でも、もっとも先端的な未来に関する研究を行っている部署です。現在の社会の変化のスピードは非常に早く、ニーズが顕在化したときにモノやサービスを作り始めていてはあまりに遅い。ニーズが明らかになったときには、その課題のソリューションを市場に提供できるよう、体制を整えておく必要があります。未来創生センターが中心となって京大さんと進めるこのプロジェクトも、まさにその一つの布石と言えます。

 そのとおりです。同時に社会課題を解決するには、技術やモノ、サービスだけではなく、それらを理解して使いこなせる多くの人材が求められます。そして、そういう優れた人材の育成には、何年もかかるのが普通です。私たちはこのモビリティ数理のプロジェクトで、大学の皆さんのご協力を得ながら、5年、10年先の未来を見据えた技術と人の双方を育てていきたいと考えています。現時点でも、プロジェクトに参加して先生たちと議論を行っているトヨタの社員の中から、「自分たちの仕事にもアルゴリズムやテンソルネットワークなど、数理的な考えが生かせそうだ」という声が上がっています。

牧野 お二人が仰るように、近未来の社会で数理の重要性が増すことは、世界的な潮流でもあります。米国のオバマ大統領は2010年の演説で、ドイツと中国とインドを指して「それらの国々では数学とサイエンスにより重点を置いている。その3国にアメリカが負けないためには、私たちも数学とサイエンスに力を入れる必要がある」という趣旨のことを述べました。この演説でオバマ氏が数学とサイエンスをあえて分けているのも興味深いですし、また数理の力が、大国の国力に直結する時代になっていることを意味するとも言えます。

山下 同感です。今はまだ将来のモビリティ社会について明確な像が結べていませんが、数理の力がその成立に多大な貢献をすることは確実です。例えば私は将来のあるべき姿として、「信号がない社会」を想像しています。車での移動において何が無駄でもったいないかと言えば、「信号で止まること」が筆頭に挙げられます。静止している時間がもったいないし、減速して停止し、再び加速するのに無駄なエネルギーも必要です。それがもしもすべての自動車が互いの動きを予測し、最適な移動を行えるようになれば、一度も止まらずに目的地に行き着くことは理論的に可能です。そのシステムが実現すれば、交通事故もこの世からなくなるでしょう。数理的には各自動車やそれぞれのルートの配列をきれいに整理する必要があり、計算量は膨大になりますが、信号のない社会は夢物語ではなく実現が十分可能です。

 私は数理の力によって、待ち時間を減らす、運転の労力を減らすとともに、「移動をもっと幸せを感じる体験にすること」ができればと願っています。最近コロナで移動をする機会が減っていますが、先日久しぶりに車を運転して遠出をしまして「運転って、こんなに楽しかったのか」と感じました。そもそも人にとって「移動」は楽しみであり、移動するからこそ、人類は進歩できたという説を唱える研究者もいます。みんなが時間を有効に使い、幸せな時間を増やすことができるはずです。

牧野 とてもよくわかります。私は「人が自由に移動できる」ことは、人間の幸福にとって極めて重要だと考えています。いまの世界には、政治や宗教的な理由によって、移動できない人が沢山おり、国によっては情報も管理されています。私の専門は離散数学という分野ですが、もともと東欧に優れた研究者が沢山おり、私より少し上の世代には、自国から亡命して研究を続けた人もいました。そうした方々と話をすると「人間が自由に往来できる社会」を作ることが、極めて大切であることがわかります。誰もが公平に移動の自由を甘受しながら、安心で安全なモビリティ社会をつくるために、トヨタの皆さんと研究を進めていきたいと思います。

*1 トヨタフィロソフィー:https://global.toyota/jp/company/vision-and-philosophy/philosophy/